20年前を振り返って(その3)
自分なりにエンドや義歯、咬合について勉強を頑張ってきたので、松浦に帰ってから教えていただくことはそれほどあるまい(完全に天狗になっていて今考えると恥ずかしい)と思っていたのですが、大間違いでした。
伊万里の岩崎先生はその当時、ご自分が勉強される会としての
佐賀0(ゼロ)の会
と、主に佐賀、長崎の勉強をしたい若手を育てることが目的の
西九州歯学研究会
の、2つのスタディーグループのお世話をいていらっしゃいました(現在両スタディーグループとも発展的に解散しています)。
自信過剰であった私は、当然0の会の方に入れていただけるものと考えていたのですが、言われたのは
「西九州歯学研究会の方に入って勉強しなさい。」
で、0の会の「ゼ」の字も出てきませんでした。
その理由が、
基本がまだできていない
ということだと、入会して勉強するうちに明らかになっていきました。
入会に当たってご挨拶にお伺いしたい旨の電話を前もってした折りに、
「自分の治療ケースを持ってきなさい。」
と言われ、自慢の全顎治療例、エンドの治療ケースを数例持って行きました。
岩崎歯科の研修スペースで、
「言っていたもの、持ってきたかな?出してごらん。」
と言われ、強度の弯曲根管に対してきちんと根管充填できている一番自信があるレントゲン写真を、レントゲンファイリング用のシートから取り出そうとすると
「何やっているの?手袋は?フィルムを素手で扱ったら指紋がつくでしょう!あとでカビが生えるよ!」
と初対面の私に対して鋭い口調で叱責されました。
今考えれば当たり前のことですが、その当時は
「エエッー、まずそこなの?」
と思ったものです。
岩崎先生をはじめとした佐賀0(ゼロ)の会所属の先生方の、このレントゲンに対するこだわりが、現在アナログ、デジタルを通して間違いなく
日本一の質を誇るデンタルX線写真
をルーティンに得られるレントゲン撮影・現像・管理システム開発の原動力になったのだと思います。
きちんと撮影できていても、10年単位で長期にきちんと保存し、予後を追える、自分の治療の経過を精密に追えるシステムを構築していない歯科医院など
それなり
だと言われ納得しました。
それほどのこだわりを持って治療されている先生が、決して人口が多いとは言えない隣町の伊万里にいらっしゃることに驚きましたが、その岩崎先生が、おつきあいさせていただいてから早い時期に、
「自分は日本一の歯科医師を目指す。末竹君はまず長崎県一を目指しなさい。」
と言われたことにまたびっくりしましたし、感動もしました。そして、
「そうなろう!」
と決心したのを覚えています。
松浦市に帰ってから全く腐ることなく、上記のレントゲンや、口腔内写真、エンド、CR充填など基本的なことをしっかり学ぶための本物の勉強をスタートさせることができたことは本当にラッキーでした。
(つづく)
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